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必要は発明の母 [発明]

必要は発明の母と言うが、まさに乾電池を発明したのは、ある経験が引き金となり
必要性を痛感したのが始まりだという。

ゼンマイ仕掛けの時計が主流だったころ、こうして「乾電池」が生まれた。

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こう言った発明にまつわるエピソード、乾電池を見る度に思い出す
のも発明者への恩返しになるかも知れない。

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2019/03/17
乾電池の発明は遅刻がきっかけ!?
世界で初めて乾電池を発明した日本人・屋井先蔵
gunosy

世界で初めて乾電池を発明し、「乾電池王」と呼ばれた人物がいます。
彼の名前は、屋井先蔵(やいさきぞう)。

1863年、現在の新潟県長岡市に生まれた先蔵は、幼いころから天体や水車、コマなど
回り続けるものに興味を寄せていました。13歳になると奉公に出て、時計店で働くよう
になりました。

時計店で身を粉にして働くうちに、精密に回り続ける歯車たちのとりこになっていきま
す。屋井は機械についてさらに学ぶために上京し、東京職工学校(現在の東京工業大学)
への入学を目指します。

ところが、2度目の受験の際、正確な時計が周囲にひとつもなかったために、試験会場に
5分遅刻してしまい、受験できないという苦い経験をしてしまいました。当時の時計は手
動のゼンマイ式が主流で、街中で目にできる時計が示す時刻もバラバラでした。

屋井はこのときの経験が引き金となって、電気で常に正確に時を刻む「連続電気時計」
の開発に、情熱を注ぐようになりました。屋井の努力によって「連続電気時計」は完成
しましたが、売れ行きはあまりよくありませんでした。

その理由は、電源に使っていた液体電池(湿電池)にありました。液体電池には、「冬
になると内容物が凍り使えなくなる」、「ひんぱんに液漏れが起きるのでメンテナンス
が面倒」といった欠点がありました。

そこで屋井は課題を解決すべく新たな電池の開発に着手。日中は親戚が営む工場で働き
ながら、それ以外のほぼすべての時間を研究と開発に費やし、試行錯誤の末に薬液が浸
み込んだパラフィンで炭素棒を固めて、液漏れしづらく改良した電池をつくりあげまし
た。

こうして、冬にも凍らず、液漏れしない電池が造られました。この電池は、従来の
「湿電池」に対して「乾電池」と名づけられました。

ところが、そのころの日本では電気製品が普及していなかったため、屋井の乾電池は発
売当初、思うように売れません。

そんな屋井の乾電池に転機が訪れたのは、1892年に開催されたシカゴ万博でのこと。
このとき、東京帝大理学部が、屋井の発明した乾電池を使用した地震計を出品。この乾
電池が国際的に関心を集め、その性能の良さが認められるようになりました。

その後、日清・日露戦争が発生すると、厳冬の満州で照明や通信機器を使用するための
電源として屋井の乾電池が採用されることになり、屋井の乾電池はようやく世間の人々
の注目を集めるようになったのです。

1910年 、屋井は、「屋井乾電池」を設立。乾電池の本格量産にとりかかりました。
その際、筒型の金属ケースを用い、現在の乾電池のスタイルを確立しました。

屋井は、乾電池というものを世界で最初に発明にしたにもかかわらず、貧乏のため特許
を取得することがなかなかできず、長い間、乾電池の発明者として名前を知られること
はありませんでした。

2014年、IEEE関西支部の推薦による「日本の一次・二次電池産業の誕生と成長1893」が
IEEEマイルストーンとして正式に認定され、屋井の出身地の長岡市、出身校の東京理科
大学近代科学資料館(以上は屋井乾電池が現存しないため)、ジーエス・ユアサコーポ
レーション、パナソニックの4者に銘板が贈呈されました。

これによって地元長岡市の人々にも、屋井先蔵の名前が広く知られるようになりました。

日本が、世界に誇るものづくりの技術。その一つの成果である「乾電池」発明のきっか
けが、「遅刻」とは、なんとも人間臭いエピソードではないでしょうか。

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