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謎の海洋民族 モーケン [伝統文化]


ナマコを燻したものを売って現金収入を得て船の燃料を購入するなど、
資本主義社会と無関係ではない生活をしているモーケン族。

「ミャンマーとタイの政府はモーケン族を文化的に同化させようと試みてきたが、
その成果は限られたもの」と言われているが、資本主義社会による海の幸の乱獲
によって海での本来の生活が出来なくなっている。


政府は陸に定着させ管理しようとしているが、厳しい現実と向き合い
海と共に生きているモーケン族。NHKスペシャルでも紹介されている。

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ふた
2012/11/25
謎の海洋民族 モーケン


---
モーケン族 wiki

モーケン族(Moken)とは、ほぼ一年中海上で過ごす海洋民族。
モーケンやモーケン人とも呼ばれる。

モーケンは自称で、ビルマ語ではサロン族と呼ばれる。
別名「海のジプシー」。

ただし「海のジプシー」という呼び名は東南アジアのいくつかの民族集団の総称
であり、モーケン族のみを意味するものではない。

オーストロネシア語族に属するモーケン語(英語版)の他、
タイ語やミャンマー語を使用する。


居住地

アンダマン海、タイ王国、ミャンマー、メルギー諸島(英語版)の近海に
暮らしている。ミャンマーとタイの政府はモーケン族を文化的に同化させようと
試みてきたが、その成果は限られたものである。

1990年の報告によると、ミャンマーの軍事政権は一部のモーケン族を陸地に
強制移住させたという


生活

主に、カバンと呼ばれる家船(えぶね)に住んでいて、見知らぬものと出会うこと
を恐れている。しかし最近はミャンマー政府の政策により、海岸で定住生活をさ
せられている者もある。

また、陸上での狩猟にも意外と長けている。ナマコを燻したものを売って
現金収入を得て船の燃料を購入するなど、資本主義社会と無関係ではない生活を
している。

一方で、その資本主義社会からやってくる商業船団によって魚介類を根こそぎもっ
ていかれてしまうなど、生活が苦しくなってきている。

海を強く意識しているため、いくつかの地域のモーケン族は2004年12月のスマトラ
島沖地震の際に津波の前兆をつかんでいたが、タイ・パンガー県のタプタワンなど
沿岸部の村々では住宅やカバンに対する深刻な打撃に苦しめられた。

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箸の文化 [伝統文化]


諸説ある日本人に馴染み深い箸。

二本の棒を使って挟むという簡単な作業は、フォークまたは手を使う作業に対して
非常にユニークであり理知的な感じを与える。

指を二本使って挟む作業、二本の棒を使って挟む作業は
力学的に言って非常にシンプルなもので、これを文化にまで織り込んできた
と考えるとおもしろい。

---
2019年04月20日
世界の約3割の人がフォーク、4割が手、残り3割は?
大紀元

世界の人々が食事に使うのは、約3割がフォーク、4割が手、残り3割は? 

答えは、私たち日本人に馴染み深い箸。いつ頃からは箸は使いだされたのだろう
か。石器時代にさかのぼるとの説もあり、銅や金、銀、象牙の箸があったとの古
書の記録にはあるが、竹製や木製が広く使用されたと考えられている。

箸の歴史

人間は箸をいつごろから使い始めたか、確証された説はないが、多くの考古学の
文献には、安陽殷墟(BC1600 – BC1046)の墓から出土した6本の青銅製の箸が一
番古いものとされている。

しかし長江と淮河流域の東部にある龍虯莊(りゅうきゅうそう)新石器時代の遺跡
から出土した42本の骨製の箸は、その歴史を更に3000年早めた。

殷の紂王時代(紀元前1100年ごろ)にすでに象箸(象牙の箸)が使用されており、
歴史の中には金の箸、銀の箸もある。

箸に当たる記述として「箸」「梜」「梜提」「筴」「筯」「快」「快子」「筷子」
「快児」などが用いられることから見れば、昔から箸は主に竹製のものか木製のも
のが一般に使われていたようだ。

箸と麺食文化

食事の道具としては、手を使ったり、さじや小刀を使ったりできるはずだが、
なぜ数千年前の古代に2本の棒のような箸を使う必要があったのか? この問題に
は新しい考古学の発見から答えが得られた。

2005年に約4000年前の青海喇家遺跡(せいかいらつかいせき)から、今まで世界
で最も古い麺の実物が発見された。これらの古い麺は、長くて細く、黄色を呈して
おり、密封した状態で逆さに置かれていた碗の下にあった。

科学者の検証によればこれらの麺はアワとコウリャンの2種類の穀類で製造された
ものと判明した。


箸と民間文化

2本の箸を陰と陽に喩え、手に持って使う時、上に置いて、主動に動くものを陽と
し、下に置いて、受動に動くものを陰とする。2本の箸は陰と陽の相互依存、相互
対立の特性を表している。

民間の文化活動の中でも、箸は重要な役割を演じている。線香のように箸を挿して
天に祀り、仏壇の前に箸を並べて神様を敬う以外に、一部の地域や民族の中で特別
の意味を込めて箸が贈答品として使われている。

恋人に贈れば、2人が永遠に別れないことを表す。新婚の人に贈れば、陰と陽の交
合で早く子供に恵まれるようにという祈りの意味を表す。

友人に贈れば、平等と友愛を表す。高齢者に贈れば、快楽と長寿の意味を表す。
子供に贈れば、早く成長するような意味を込める。

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日本だけが育てた文化 ゴボウ [伝統文化]


日本人は「根菜」野菜をたくさん食べてきて
日本だけが「ゴボウ」を育て文化に発展させたらしい。

世界で日本だけとされるゴボウ栽培。
日本への渡来については、平安時代だとか・・

普段何気なく食してるゴボウ、地味な食材だが
日本の特有性が高い食材、詳しくはリンクでどうぞ。

---
2019.04.12
なぜ日本人だけがゴボウを育て文化に発展させたのか
jbpress

日本人は「根菜」、つまり根や地下茎を食用とする野菜をたくさん食べてきた。
本コラムでも取り上げたダイコンの他、ニンジン、カブ、レンコンなどなど。
土の中で蓄えられる栄養を大切にいただいてきたのだ。

さまざまな根菜の中でも「ゴボウ」ほど、日本の特有性が高い食材はないだろう。
伝来種とされながら、日本でのみゴボウ栽培が発展していった。
また、ゴボウがさまざまな食材として使われているのも日本だけという。

東日本ではきんぴらゴボウ、西日本ではたたきゴボウが、ハレの日にも日常的にも
食べられる。汁物や炒め物の具材、また天ぷらのタネとしても使われる。
今も日本人はゴボウ好きといえよう。



平安時代の古文書に「悪實」「支太支須」という言葉が

ゴボウというと、色や風味からいかにも日本の食材っぽい。
だが、原産地は西アジアから地中海沿岸にかけて。
日本への渡来については、平安時代、薬用として使われていた中国からという説がある。

その一方で、より古く、縄文時代の鳥浜遺跡(福井県)、三内丸山遺跡(青森県)、
忍路土場(おしょろどば)遺跡(北海道)などからゴボウの種子が出土している。
複数方面からの経路があったのかもしれない。

日本の文献に初めてゴボウの記述があったのは、平安時代の昌泰年間(898-901)に成立
した漢和字書『新撰字鏡』において。

「木」の部に「悪實 支太支須乃弥」とある。
「悪實(悪実。あくみ)」は、ゴボウの種子のこと。
また「支太支須(きたきす)」はゴボウの古名だ。


今も使われる「牛蒡」の字については、延喜年間(901-923)に成立した本草書
『本草和名』の第九巻「草中」に「悪實 一名牛蒡(略)和名岐多伊須」とある。

なお、「牛蒡」は、ゴボウのひげ根が牛の尾に似ており、それに草の名前の「蒡」が
ついてできたといわれる。かつては「うまふぶき」とも呼ばれていた。また、「牛房」
と書かれることも多い。


「栽培植物へ」という一大転換

ゴボウが日本人にどのように栽培されるようになったか。その歩みも文献の記述からう
かがえる。

承平年間(931-938)につくられた辞書『倭名類聚抄』に「牛蒡」が出てくるのは
「蔬菜部」の「野菜類」において。この部には「園菜類」もある。

ここから、北海道開拓記念館元学芸部長の山田悟郎氏は、当時のゴボウは畑で栽培され
たものでなく、山野で採られた山菜だったと考えられると推測する。

では、ゴボウが栽培されるようになったのはいつごろか。京都の東寺に伝えられた古文
書『東寺百合文書』には、鎌倉時代中期の1266(文永3)年における丹波国の大山庄領家
の注文事として「牛房五十把」また「山牛房卅本」の記述がある。

ここから「山牛房(やまごぼう)」だけでなく、栽培された「牛房(ごぼう)」も存在
したと見ることができる。

つまり、この2つの文献から、平安中期から鎌倉中期の間に、ゴボウが栽培されるように
なったことが推察できるわけだ。世界で日本だけとされるゴボウ栽培を、まさにこの時期
の日本人が成し遂げたことになる。


江戸期に生まれた滝野川ゴボウが日本各地に広まる

その後、江戸時代にもなると、日本の各地でそれぞれに特徴を持ったゴボウが栽培され
る時代となった。今の千葉県匝瑳市大浦地区に古くから根づいていた「大浦ゴボウ」、
石川県七尾市の沢野婆谷神社の神職が京都からコボウの種を取り寄せて植えたのが始ま
りとされる「沢野ゴボウ」、山口県美祢市美東町の赤土を利用した「美東ゴボウ」などだ


「きんぴら」も「たたき」もハレの日の料理食材だった

食材としてのゴボウにも目を向けてみたい。中国からの影響を受け、当初は日本でも
ゴボウは薬用として使われていたとされる。

料理にゴボウが使われていたことが分かる最古の文献は、平安時代の1146(久安2)年ご
ろ作られた、恒例・臨時の儀式、行事における調度についての記述『類聚雑要抄』にある

1118(元永元)年9月24日に供された宇治平等院御幸御膳のうち「干物五杯」の字の下
に「海松(みる)、青苔(あおのり)、牛房(ごぼう)、川骨(かわほね)、蓮根(はす
のね)」と並んでいる。

その後は、南北朝時代から室町時代にかけて成立したとされる教科書『庭訓往来』の中
で「煮染牛房」と記されている。ゴボウは煮物の材料だったようだ。




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日本の「こうじ」に世界のシェフが夢中 [伝統文化]


麹がすごいのは、材料であると同時に『道具』でもあること
気が付けば西洋料理の世界にも進出していた麹。

食品類の発酵に使われてきた麹菌はすべてを変えるマジックだと言われ
日本再発見の役目を担っている。

--
世界のシェフが夢中の「こうじ」だが、ぬか漬け男子?、と発酵食品ブームを
煽っている国内市場。いずれにしても日本の伝統文化でもある発酵文化が
見直されている兆しでもある。

---
2019年03月28日
肉と麹を合わせる──日本の「こうじ」に世界のシェフが夢中
newsweekjapan

<コペンハーゲンの「ノーマ」など世界の有名レストランで、日本の食材「麹」の味
と働きが斬新な形で活用され始めた>

ノーマといえば、料理の独創性で世界に知られた超有名レストラン。デンマークの首都
コペンハーゲンにある店には発酵の研究部門があり、その責任者ダビド・ジルベールは2、
3日おきに研究室に入り、蒸した大麦を発酵させているトレイを点検する。

けば立ったその表面は、冷蔵庫の奥に眠る食品に生えるカビによく似ている。でもジル
ベールは満足そう。「これが麹(こうじ)、すべてを変えるマジックだ」

日本や東アジアで何千年も前から食品類の発酵に使われてきた麹菌はカビの一種。
正式にはアスペルギルス・オリゼーと言い、通常は穀類で培養される。

日本酒の醸造に使われるだけでなく、今や世界語となったウマミ(旨味)を生み出す源
が麹。気が付けば西洋料理の世界にも進出していた。

「ノーマでは、麹を味付けに使う」とジルベールは言う。「でも麹がすごいのは、材料
であると同時に『道具』でもあることだ。麹が出す酵素はタンパク質を分解するから、
自然と肉を軟らかくしてくれる」

ジルベールだけではない。クリエーティブなシェフたちは麹を、日本の料理人が考えも
しなかった環境で育てている。

「1300年の間、仏教の影響で日本では動物の肉を食べない習慣があった。だから大豆や
小麦などを麹菌で発酵させ、肉代わりのタンパク質として用いてきた」と言うのは、
東京・西麻布の名店レフェルヴェソンスの生江史伸。「ノーマが肉と麹を合わせている
と聞いて、つくづく感心した」

麹に挑戦しているのはノーマだけではない。米サウスカロライナ州チャールストンのマ
ックレディズでは、味噌ペーストに使う麹を乾燥インゲンで育てている。テキサス州オ
ースティンにあるエマー&ライのケビン・フィンクは、チーズケーキのトッピングに麹
のクッキーを砕いて、まぶしている。

スペイン北部のサン・セバスチャンにあるレストラン、ムガリッツのアンドニ・アドゥ
リスの自慢料理は、麹で作ったライスケーキ(餅)だ。「うちの店は食感にこだわるん
だ」とアドゥリスは言う。その濃厚だが軟らかい「麹からできた餅」は、まさしく「フ
レンチトーストのよう」だとか。

西洋料理の世界では、麹はまだ導入が始まったばかりの素材だ。しかし意欲的なシェフ
たちは、見つけたばかりの麹の可能性を豊かに開拓していくに違いない。ジルベールは
言う。「発酵の世界は奥が深い。油で炒めるよりも(麹を加えるほうが)はるかに可能
性がある」

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日本の文化を盗みまくる? [伝統文化]


恐るべき盗みというか、真似の数々
韓国では日本が盗みまくってると洗脳教育されてるかも・・
戦犯ステッカーどうなった?

まさに伝統文化?
このサイトの写真見ると分かりやすい。

---
2018-10-16
韓国は日本の文化を盗みまくる。
kjclub


「韓国のおっさん連中が大ショックを受けること」

鉄腕アトムが日本のアニメだった事


韓国・聯合ニュースは、今年の韓国の子どもの日に最も人気だったプレゼントが日本の
アニメ「妖怪ウォッチ」の関連商品だったと伝えた。


同国内では日本のアニメに関するスレッドが立ち上がり、多くのコメントが寄せられて
いるという。


「最近、ショックを受けたこと」と題されたスレッドでは、「子どもの頃、よく見てい
た『トム・ソーヤの冒険』『太陽の子エステバン』『ふしぎの海のナディア』などは
すべて日本のアニメだと知りショックを受けた。

西洋を舞台した作品を創造するなんて!
日本は今、アニメを通してアジア人の精神を支配している」と書き込まれている。

「子どもの頃、小学校のクラスの中にこれらアニメは全部日本の作品だって言うやつが
いたけど、みんなそいつをうそつきだと言って容赦なく教育してやった」

「70~90年代にテレビで放映されていたアニメは基本的に日本の作品。『ピーター・パ
ン』や『銀河鉄道999』など」

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ぬか漬け男子? [伝統文化]


日本の発酵文化が美容や健康によいとして、発酵食品ブーム
になっている中、ぬか漬けに興味を持つ消費者も増えている。

ぬか漬けがサラダで野菜を摂取する西洋文化より優れた発酵食材で
あると、商戦に期待するメーカーも多いという。

ぬか床を預かり、手入れなどを代わりに行ってくれるところも
あることから、オリジナルの「ぬか漬け」を味わうために、「手入れ」に手間暇惜し
まない方は挑戦してみるといいでしょう。

---
ぬか漬けを始める男性が増加 「ぬか漬け男子」がSNSで話題に
headlines

発酵食品ブームで、ぬか漬けが注目されている。ある量販店では、プライベートブラン
ドのぬか床の売上げがおよそ半年で400倍近く増加しているという。SNSでは「ぬか漬け
男子」という言葉も生まれている。

2019年は年明けから天候に恵まれ、野菜価格も安定。ここ数年、野菜相場に左右された
市場だか、今年の商戦に期待するメーカーは多い。

2018年のいりぬか・漬物の素市場は、金額・数量とも前年比1%減(KSP-POSデータ)で
横ばいだった。春先は野菜価格が安定し、出だしは好調だったが、6月の台風到来で野菜
価格が高騰。後半戦は市場に逆風が吹き、前半ほどの勢いはなかった。野菜が高騰すれば
ぬか漬けをする家庭が減り、天候に左右される商材であることをあらためて実感する年と
なった。

ここ数年の市場の動きで特徴的なのが、若い女性や芸能人が美容や健康を目的にぬか漬け
を始め、ブログやツイッターなどのSNSで公開する動きが増えていることだ。

近年、SNSが市場に与える影響は大きく、ある量販店のプライベートブランドのぬか床が
爆発的ヒットを記録するなど追い風にもなっている。SNSを中心に「ぬか漬け男子」なる
言葉も生まれ、男女問わず、ぬか漬けに興味を持つ消費者が増えている。

東京都目黒区のある店舗では、ぬか漬けを新しく始める消費者のためにぬか床を預かり、
手入れなどを代わりに行ってくれるという。利用客の半分以上は男性で、「小さいころ
味わっていたぬか漬けをもう一度試したいがどうしたら良いか分からない」「オリジナ
ルのぬか漬けを作りたい」などの理由で来店するという。

ぬか漬けを始める男性が増えている理由について「男性は凝り性。ぬか漬けを育てるこ
とに楽しみを見出しているのでは。女性がSNSを目的とするのとはちょっと違う、男性特
有の楽しみ方を見つけているようだ」(メーカー)と分析する。

コンビニやスーパーのチルド売場では、ぬか付きの漬物が売れている実態がある。和食
人気が世界的に広まり、日本の発酵文化が見直されるなど、視点を変えれば市場の伸び
しろは多くある。ぬか漬けが、サラダで野菜を摂取する西洋文化より優れた発酵食材と
して見直されることも想定される。

安易な価格訴求に進まず、ぜいたく、ゆとりといった価値を訴求できるカテゴリーとし
てアピールすることが、業界として必要な作業と考えられる。

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じゃんけんの語源 [伝統文化]


日本国内で「じゃんけん」のことを少し違う言い方をする地方、地域。

この方言のルーツを探っていくと広東語で似た発音もあることから
渡来してきた人の住みついた地域で、大陸の方言の余韻がそのまま残っている
ように思える。

---
2019年02月22日
知ってた? じゃんけんの語源
大紀元

「じゃんけん」の語源は未だよくわかっていませんが、代表的なものに「両拳」説が
あります。

中国で古くから行われてきた酒席の遊びに、二人が互いに出す指の数を予想して言い当
てる『猜拳』と言うのがあり、江戸時代に長崎に伝来しました。その『猜拳』でチョキ
を表すものを「両拳(りゃんけん)」と言い、それが訛って「じゃんけん」になったと
いうのです。

長崎方言では、「りんご」→「じんご」、「りょうしん」→「じょうしん」のように、
「り」が「じ」に変化することがあるということからすれば、この「両拳」説はかなり
説得力があります。

もう一つ有力な説は、『大言海』(大槻文彦編、1935)でも採用されている「石拳」説
で、グーを表す「石拳(じゃくけん)」が訛って「じゃんけん」になったというもので
す。

日本語では、子音「k」に挟まれた「u」は落ちて無声化しやすいということから、
「じゃくけん(jakuken)」→「じゃ・けん(jak・ken)」→「じゃんけん(janken)」
と変化したと考えるのです。

栃木には「じゃんけん」を「じゃっけん」と言う地域があるようで、この説も捨てがた
いものがあります。

さらには、「猜拳」説。『猜拳』を広東語で「チャイキュン」のように発音するそうで
すが、大阪や滋賀あたりでは「じゃんけん」のことを「じゃいけん」と言い、

神奈川には「ちょいけん」と呼ぶ地域があるということを考え合わせれば、
この説も「ひょっとしたら」という気になってきます。

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句読点の妙 [伝統文化]


句読点のありなし、位置で意味が変わる、妙。

---
2019年03月04日
句読点の妙
大紀元

「警官が血まみれになって逃げる犯人を追いかけた」

さて、血まみれになっているのは警官?それとも犯人?「警官が」で「、」を打てば
犯人で、「なって」で「、」を打てば警官ですね。

緊急時の連絡に電報が活躍していたころのこと。息子が 「カネオクレタノム」 と打っ
てきました。知ってか知らずか、父親は 「それはよかった」 と返事をしました。

「金をくれた。飲む」 と読んだのです。 「金送れ。頼む」 のつもりだった息子は、
さぞかし困ったことでしょう。

こういった類の話は中国語にもあります。古典的なものを一つご紹介しましょう。

昔、とてもケチな男がおり、ある日、この男の家に客がありました。
夕方になって雨が降り出しました。夕食をご馳走したくない主人は、紙に
「下雨天留客天留我不留」 の十文字を書いて客人に渡しました。

主人は 「下雨,天留客,天留,我不留。」 (雨が降り、天が客を引き留めるが、
天が引き留めても、私は引き留めない)のつもりだったのですが、主人の意図を悟った
客人はわざと、 「下雨天,留客天,留我不?留。」 と句読点を打って返しました。

「雨降りの天気は、客を引き留める天気。私を引き留めないのですか?では留まりまし
ょう」ということです。これを見た主人、しかたなく客人に夕食をご馳走しました。

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東アジアの海の上に位置する日本 [伝統文化]


東アジアの海の上に位置する日本は
上空の寒気団は別として、地上に近い層の寒気は日本海の上を渡ってくるため
海の温度により温められ、地上に近い層は大陸のように諸に寒気に晒されることがない。

この日本海という存在が、気候のみならず「文化」の流れにも影響を与えていた。
「海を隔てているせいかその影響の受け方が地続きの国とはまた違った、
独特の道をたどってきた」

「日本家屋の縁側方式」
外から運ばれてきた畑の収穫物などを、一度縁側に置き、そこで取捨選択あるいは多少
加工してから室内に入れるという二段階方式をとった。

---
2019年01月21日
中国伝統文化と日本
大紀元

東アジアの海の上という、おもしろい位置に日本がある。

「おもしろい」と言ったのは、大国である中国の隣国の一つでありながら、海を隔てて
いるせいかその影響の受け方が地続きの国とはまた違った、独特の道をたどってきたか
らだ。

中国文化の受容という面においても、意識的にそうしたかどうかは不明だが、日本は興
味深い方法をとった。

その方法とは、言わば「日本家屋の縁側方式」である。つまり、外から運ばれてきた畑
の収穫物などを、一度縁側に置き、そこで取捨選択あるいは多少加工してから室内に入
れるという二段階方式をとったのだ。

取捨選択といっても厳格に選別したわけではないので、多くのものは日本に輸入された
が入らなかったものもある。

例えば、中国や朝鮮では国家を挙げて試験地獄に飛び込んだような官僚登用試験の科挙
は、ついに日本には入らなかった。女性の足をしばりあげて変形させる纏足も、日本人
がまねさせられることもなかった。

また、はじめは「宮」という刑罰であり、のちには自ら進んで宦官になるため、生殖器
を切断することも日本人の歴史とはならなかった。

それらの理由を一つには限定しがたいが、日本と中国との間の海が、中国の濃度をいく
ぶん薄める物理的作用を果たしたものと思われる。


「天平の甍」のころ

一方、ある時期の日本は世界のどの国よりも積極的に中国文化を学んだ。

それはおよそ1300年前。時代でいうと奈良朝から平安朝の初期にかけてであるが、日本
の青年官僚たちが荒れる東シナ海を命がけで渡り、唐の律令や三省六部(さんしょうり
くぶ)という世界で最も整っているとされた政治制度を学んで日本に持ち帰った。

また、ゆれる人心を安んじるため仏教を必要とした。日本に仏教が伝わったのは6世紀の
飛鳥時代とされる。当時、朝鮮半島を通じて、たおやかな線をもつ百済仏が日本にもた
らされたが、その後、日本の仏教はゆるみ、税の負担を逃れるため私度僧になるなど国家
運営に支障をきたすようになった。

日本から留学僧を派遣して唐の高僧を招聘しようとしたのは、ゆるんだ日本の仏教界を
引き締めるため、戒律を授ける師僧すなわち「授戒の師」を必要としたからである。

こうして、度重なる渡海の失敗に視力を失いながら鑑真和上が来日し、奈良の地に唐招
提寺を開いたことはよく知られている。


「子曰く」を学ぶ子どもたち

中国から日本が受けた精神文化のなかで、儒教の恩恵を挙げないわけにはいかないだろう
。ただし、先にも述べたように、日本には科挙はない。

立身出世の手段として狂気のような試験勉強をする形態は、儒教の師である中国および
儒教の優等生の朝鮮にはあっても、劣等生の日本には制度として定着しなかった。

しかし日本人は、子弟の教育のため、儒教の経典をはじめとする漢籍を大いに素読させた
。子どもたちは師の指導に従い、背筋をのばし大きな声で「子曰く、学びて時にこれを習
う」を読んだ。

それ自体が子どものしつけであり、社会的な礼儀作法の基本となった。父母に孝養を尽く
し、長者を敬い、良い朋友を得て有意義な交わりをもつことを勧めた。

これを敷衍して、仁義礼智信から忠義に至るまで、人間の守るべき徳目を心身にたたき
こむのが、少なくとも一定の教育を受けた日本人のあるべき姿とされた。

大人になってからも必須の教養として、また学問研究の対象として漢学は第一の科目であ
った。ゆえに、儒教というより「儒学」と呼んだほうが、日本の場合には幾分適切だと思
われるが、中国文化受容の方法として、先述した「日本家屋の縁側方式」がうまく機能し
た好例と言えるだろう。

重ねて言えば、日本人は「外国語である漢籍を日本語で読んで理解する」という、世界で
も類を見ない大胆かつ合理的な読解法をもっていた。

この漢文訓読は、漢字を共通の文化遺産とする諸国のなかでも特異な才能であると言って
よい。ただ、あまりにも日本人の血肉の一部となったためか、かえってそれが外来の文化
であるという実感は薄れた面があったかもしれない。

科挙ではないが、日本人はこうして中国文化を自国のものとして受け入れた。



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日本を取り戻す12の言葉 [伝統文化]


日本を取り戻す12の言葉のうち、ひぃ、ふぅ、みぃ、・・という
日本の数詞(かぞへことば)については幾通りもの解釈があるが
そのなかのごくひとつ・・
日本を取り戻すにためにも日本を知る重要語のひとつである。

日本にある奥深い言霊文化の一端を語っているものだ。
とくに魂という概念。太くて古い文化。

--
染まるのではなく、採り入れる。かぶれてはいけません。

かぶれたら、おそ松くんのイヤミになって笑われるだけです。
そうすることで、より良い豈国(あにくに)を築いてきたのが日本人です。

なかでも魂という概念を持たない、西洋社会にあるような宗教的価値観さえも持たない
人たちは、我が身の利益ばかりを望みますから、一時的には日本を利用することによっ
て巨利を得ることができたりします。

--
1~11の日本を取り戻す言葉はリンクでどうぞ。

---
2019/1/21
日本を取り戻す12の言葉 vpoint



12 数詞(かぞへことば)

1〜10までを数える際に、
「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いつ、むぅ、なな、や、ここ、とぉ」
という言い方が古い昔から行われてきたことは、ご存知の通りです。

日本語は言霊によって成り立ち、一語一音一義が特色の言語です。
そして数詞(かぞへことば)には意味があります。

「ひ」 (ひ)のことです。何事も御霊が先です。
「ふ」 (ふ)のことで、御霊(ひ)から生命が誕生します。
「み」 (み)誕生するのが「身」です。
「よ」 (よ)身が織りなす世です。
「い」 (い)「いつき」とも言いますが、不浄を清めた神聖なという意味です。
「む」 (む)は神聖を意味し無であることによって億兆に心が通います。
「な」 (な)食のことです。
「や」 (や)住まいです。
「こ」 (こ)子供たちです。
「と」 (と)戸がひらきます。

まとめると、肉体が今生を生きているということだけでなく、永遠の生命である御魂の
存在を自覚し、その御魂の乗り物である身が織りなす世を清め、自分自身を無とするこ
とで億兆と心を通わせ、衣食住を足り、子どもたちの未来を担い、新しい世を築いてい
く。そのために私達は生きているというわけです。

もちろん「ひ」は火、「ふ」は風、「み」は水を表すといった説もありますし、「九十」
の九は「苦」であり、苦を乗り越えることで「十」、すなわち「充足に至る」という説も
あります。他にも諸説あります。

古い日本語の言葉は、意味は八通りに深さがあると言われます。
八は霊数で「数え切れないくらいたくさんの」を意味しますから、やさしい解釈から
奥深い解釈まで、幾通りもの解釈があるのです。
ですから、上に述べた数詞の意味は、そのなかのごくひとつであるにすぎません。


ここで日本を知るにあたっての重要語のひとつに数詞(かぞへことば)を選んだのも、
実はそこが理由です。

表面上の意味を読んで、それだけでわかった気になって思考停止に陥るのは、
実にもったいないことです。

そこから更にもっと奥を極めていく。
それができる面白さを持つのが日本文化ですし、その楽しさ、おもしろさのなかに、
まさによろこびあふれる楽しいクニを取り戻す鍵があるのだと思います。

もっと言うと、縄文以来1万年以上に渡って続く太くて古い文化が日本にもともと
あるのです。
そしてその文化は私達の生活や人生に密着し、言霊となって日本文化を形成しています。

だから日本人は、諸外国から様々な文物が入ってきても、それを柔軟に消化していくこ
とができるのです。

もし、元になる文化がなければ、ただ外国の文化に染まるだけです。
染まるのではなく、採り入れる。かぶれてはいけません。

かぶれたら、おそ松くんのイヤミになって笑われるだけです。
そうすることで、より良い豈国(あにくに)を築いてきたのが日本人です。

外国から入ってきた人や、日本人と取引する人たちは、日本人の寛容さの前に、
自分たちのわがままが通ると勘違いします。

なかでも魂という概念を持たない、西洋社会にあるような宗教的価値観さえも持たない
人たちは、我が身の利益ばかりを望みますから、一時的には日本を利用することによっ
て巨利を得ることができたりします。

けれど決して長続きしません。
メッキが剥がれ自滅します。

それはまるで日本外史にある「鎧袖一触(がいしゅういっしょく)」のようなものです。
日本人の本質を突いた深い文化の前に、目先の欲望など、まるで歯が立たないのです。
それが日本であり、日本の持つ底力です。

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