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悪魔的な美味しさのおにぎり [生活]


平凡なおにぎりでは売れない。

そこで何とか味で客を引き付けようとする「悪魔のおにぎり」
どんどん食べてしまう「悪魔的な美味しさ」、7月23日発売とか・・

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2019/07/19
ローソン「悪魔のおにぎり(うなぎのタレ味)」もう何味だよ
headlines.yahoo

天かす・白だし・ネギの混ぜご飯の中に、
ごぼう・たまごそぼろを入れ、うなぎのタレと山椒をきかせた。

ローソンは「悪魔のおにぎり(うなぎのタレ味)」を7月23日から発売します。
価格は140円。

悪魔のおにぎり」は、SNSなどで話題になった、
天かす、麺つゆ、青のりなどが混ぜ込んであり、どんどん食べてしまう
「悪魔的な美味しさ」というおにぎりを再現した商品。

うなぎのタレ味は、「山椒のピリピリ悪魔が登場」とうたい、
天かす・白だし・ネギの混ぜご飯の中に、ごぼう・たまごそぼろを入れ、
うなぎのタレと山椒をきかせているとのこと。193kcal。


■「アスキーグルメ」やってます
 
アスキーでは楽しいグルメ情報を配信しています。新発売のグルメネタ、オトク
なキャンペーン、食いしんぼ記者の食レポなどなど。

コチラのページにグルメ記事がまとまっています。ぜひ見てくださいね!

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日本人なら【梅干しおにぎり】 [生活]


そして好みに応じて具を工夫する。
そんな具のレシピ

シンプルだけど男の手作り弁当に
オリジナルな【梅干し】おにぎりを・・

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2015年02月07日
覚えておきたい!【梅干し】おにぎりの具レシピ☆17選
matome.naver

梅干しを1個使って作る【梅干しおにぎり】。おにぎりの基本ですよね。
けれどもっと梅干しを使ってアレンジが出来ないかと、いろいろな梅干し
おにぎりのレシピをまとめました。


朝、おにぎりの具で悩んだことがありませんか。
そんな時のために、梅干しで作るおにぎりのレシピをまとめました。

おにぎりの具の基本中の基本、梅干し。
梅干しを一粒入れるだけの、基本のおにぎりももちろん美味しいけれど。
アレンジレシピで、新しい『美味しい!』を見つけてみませんか。

▼ 梅干し & とろろ昆布

とろろ昆布に一番合うのは、私も梅干しだと思います!
レシピではカリカリ梅になっていますが、どんな梅でもあいますね☆


▼ 梅干し & かつおぶし

我が家ではゴマをプラスしています。
定番のおにぎりレシピになりますよ☆


▼ 梅干し & 卵ふりかけ

細かくした梅干しと卵ふりかけを混ぜるだけ。
新しい【美味しい!】を発見した気分です♪


▼ 梅干し & 大葉 & ゴマ

大葉の風味でさっぱりとした味になります。
彩りも綺麗ですよ☆おすすめです!!


▼ 梅干し & ゆかり

梅干しを手作りすると、ゆかりも出来ますよ!


▼ 梅干し & しらす & ゴマ

さっぱりと食べられるおにぎりです。


▼ 梅干し & ツナ & マヨネーズ & 青のり

梅干しとツナマヨって合うんですよ♪
青のり無しでも美味しいですが、青のりを入れると良いアクセントになって
くれて、より一層美味しいですよ!


▼ 梅干し & ウィンナー

梅干しとウィンナーも相性が良いんですね!


▼ 梅干し & 塩昆布 & ゴマ
▼ 梅干し & 乾燥わかめ & ゴマ
▼ 梅干し & 桜エビ & 大葉
▼ 梅干し & チーズ & マヨネーズ & ゴマ
▼ 梅干し & たくあん & ゴマ & 大葉
▼ 梅干し & 豚肉 & ニラ
▼ 梅干し & 天かす & ポン酢 & マヨネーズ & ゴマ
▼ 梅干し & 枝豆 & ゴマ
▼ 梅干し & オクラ & かつおぶし

▼ ☆番外編☆ 梅干しで常備菜

梅味噌に限らず、常備菜のお味噌はおにぎり以外にもいろいろ使えます!
ちなみに我が家では甘目に作ります♪

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飽きるのは自分の成長が止まっているから [生活]


「そのものに対する自分の心が変化しないから飽きるのだ。
自分自身が成長しない人ほど飽きやすい。

人間として成長を続けている人は、自分が常に変わるのだから、
同じものを持ち続けても少しも飽きないのだ」

ニーチェのこの言葉を噛みしめ飽きない自分を探求してみる
のもいいかもしれない。

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ちからのある言葉【格言集・名言集】
compass-point

飽きるのは自分の成長が止まっているからだ

ニーチェ

ちょっと前にも紹介した。ニーチェの言葉をもうひとつ。格言、至言の多い
ニーチェだから、ひっかかる言葉は人それぞれだろう。
しかしこの言葉には、どきっとした。飽きっぽい性格には痛い一言である。


ちょっとかじっては、また次へ。
好奇心旺盛なのか、それとも飽きっぽいのか。
どんなことも長く続かないと嘆く人は、けっこう多い。
 

あれもこれもと移り気なのは、性格だと思っていたら、どうやらそうとも
言えないらしい。

哲学者ニーチェはこう分析する。

「飽きるのは自分の成長が止まっているから」と。

人は、なかなか簡単には手に入らないようなものほど欲しくなる。
ところが、いったん自分のものとなり、時間がたつとつまらないもの
と感じ始める。

それは、慣れてしまったから飽きるのではなく、実は、自分の中で変化しない
から飽きるのだ、とニーチェは言う。

「そのものに対する自分の心が変化しないから飽きるのだ。自分自身が成長し
ない人ほど飽きやすい。人間として成長を続けている人は、自分が常に変わる
のだから、同じものを持ち続けても少しも飽きないのだ」

たしかにそのとおり、と思う反面、
でも、成長したらしたで、もっているもの以上のものを求めることもあるんじゃ
ない?と、反論する気持ちもなきにしもあらず…。



成長のあとの新たな欲求は悪いことではない。
成長もしていないのに、次から次へ新しい何かを求めることをニーチェは戒める
のだ。
 
三日坊主も、あと一日、とりあえずもう一日と続けていれば、いつのまにか
一週間、一ヶ月、一年と積み重なっていく。
続けていくうちに、続けるための工夫を凝らすようになるだろう。
 

同じ味では味気ないから、何かを足してみたり、違う角度から見てみたり。
創意工夫とはそういうもの。
成長するのはそういうとき。
 
モノでも人でも、飽きるのはカンタン。
足るを知れば、成長という富が得られる。

モノはもちろん、自分に飽きたら成長は止まる。
誰かや何かに期待するより、手にしているものや自分自身に期待してみよう。
新しい発見にワクワクしますよ。

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本は寡黙で最も忠実な友 [生活]


「何もしなくても、何も言わなくても、そばにいてくれるだけでほっとする。
そんな友人がいてくれたら、どんなに心安らかになれるだろう」

そんな寡黙な友
「一生を共にする、人生のパートナーとも言える一冊に出会えたら、
どんなに幸せだろう」

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「本から学ばない人」と「読書家」の致命的な差

「静かな無音の空間、ゆったりとした時間の中で他者と出会い、自分自身と
出会う。実際、海で潜った人はこの沈潜の雰囲気をよく知っているのではない
でしょうか」

「人間の精神の深いところへ沈み込み、今まで気がつかなかった
自分の無意識の世界、内面の世界を改めて発見する」

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ちからのある言葉【格言集・名言集】
compass-point

本というのは、最も寡黙で最も忠実な友、
最も近づきやすく思慮深い相談相手、そして最も忍耐強い教師である
チャールズ・ウィリアム・エリオット

米ハーバード大学の学長を40年間も務めたチャールズ・ウィリアム・エリオット
の言葉だ。アメリカの高等教育を改革したことで知られているチャールズ・W・
エリオットは、それまで必須科目だったものを自由選択制にして話題となった。

彼のカリキュラム改革は、他大学にまで影響を及ぼしたという。
そんな彼の言葉だけに、説得力がある。


何もしなくても、何も言わなくても、そばにいてくれるだけでほっとする。
そんな友人がいてくれたら、どんなに心安らかになれるだろう。
 
何も言わないけれど語りかけてくる、何もしないけれど影響を受ける。
そんなパートナーがいれば、自ら成長していけるかもしれない。

問いかければ答え、問わなければ何年も何十年もじっと黙って待ってくれる。
そんな師がいれば、紆余曲折ある道を歩いていくのも心強い。

本は、それらを可能にする。
 
人ひとりの人生には限りがあるが、本を読むことで何倍もの人生を生きることが
できる。知り得ないことを知り、体験できないことを体験できるのが本の世界。
 
どんなにインターネットが普及しようとも、チャールズ・W・エリオットが言うような忠実で思慮深く忍耐強い相手は、そうそう見つからないだろう。

けれど本は、
憧れの偉人の、行ってみたい国の、神秘的な宇宙の、知りたい過去の、

そのどれもが手のひらにすっぽり収まり、開くたびに新しい喜びを与えてくれる。

過去の偉人たちが語りかけ、寄り添い、見守ってくれ、彼らの力を分け与えてく
れる。木から生まれた本は、植物のように呼吸をし、悠久の時を生きている。
ゆえに、懐が深く、広大無辺。

ネット社会で情報が溢れかえっている今、何をつかみ、何を信じていいかわから
ない人は、良質な本を一冊でいいから開いてみるといい。
ネット情報では得られない、濃密で深淵な世界を手に入れることができるはずだ。


一生を共にする、人生のパートナーとも言える一冊に出会えたら、
どんなに幸せだろう。

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手作りの弁当男子 [生活]


1人分の食事を作ると、スーパー、コンビニの弁当より
高くつくのでついつい・・という話はよく聞く。
そして外食が主になっていく。

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作って食べるから買って食べる消費文化の世の中、
手間ひま掛けて作っていた時代は更に遠くになった感すらある。

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2019/7/14
今や自分で手作りの弁当男子も珍しくはなく…
vpoint

今や自分で手作りの弁当男子も珍しくはなくなった。気流子もしばらく弁当を作
っていた時期があったが、結構、手間がかかる。

弁当箱を洗い、そして、ご飯を詰め、おかずを入れる。食べた後には、やはり洗
って家に持参する。

仕事柄、デスクワークが多いのだが、時には付き合いで外食となることもある。
そのような時には弁当は食べずに持って帰る。

夕食として、わびしく消化することも。
それは仕方がないが、毎日同じものを食べていると飽きがくる。
といって、おかずのレシピを考えるのも面倒になってしまう。

それで、簡単なおにぎりを主体にしてみた。これだと食べた後は、包み紙を捨て
るだけで処理できる。作るのも、ご飯と梅干し、そして少しおかずを加えればい
い。シンプルなものだが、意外と飽きがこない。

かつて梅干しは、それぞれの家庭での手作りだったが、今ではスーパーなどの店
で買うことがほとんどだろう。

気流子が田舎に住んでいた時には、わずかな庭に紫蘇(しそ)を植えていて、
夏になると母が漬けた梅を干していた。

手作りなので、大きさも不ぞろいで、味もしょっぱかったり酸っぱ過ぎたり。
そのあたりは、コンビニなどの品質管理されたものとは比べられない。

それでも、自然の中で育った梅と母の手作りには、不思議な味わいがあった。

その母が亡くなってしばらくたつが、おにぎりを食べる時、干されていた梅の風
景を思い出すことがある。

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計る道具はJISマーク付のものを [生活]


JIS規格の表記がないものは「雑貨」扱いであり、
計る道具としての条件を満たしていないようです

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定規はJISマークがあるものを・・
JISマークないのはミリ単位でズレがあることも。

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100均ショップのものはJISマークがない?

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2019/2/24
100均ショップで◯◯を買うと大変なことになる
買ってはいけない理由に「初めて知りました」「わかります」の声
ima.goo

100円ショップは、さまざまなアイテムを激安で購入できる庶民の味方。
なかには、とても100円には見えないような良い物もあるなど、日常的に使うモノ
の多くを100円ショップで購入している人も多いのではないでしょうか。

ただし、モノによっては100円ショップでは買わないほうが良いものもあるよう
です。
Twitterでは、@GHEERITANさんが投稿したこんなツイートが注目されています。


みんなお願い??!文房具を百均等で安く買うのは理解できるんですけど
定規はちょっとお金出して?!具体的にいうとパッケージ確認してJISマークが
あるやつを!このマークが無い定規やメジャーってミリ単位でズレがあることが
あり集団で物を作る時にサイズずれて大変なことになるんで後生だから!!!

投稿者さんは、文房具を100円ショップで安く買うのは理解できるけど、
100円ショップの定規やメジャーはミリ単位でズレることがあるので、もう少し
お金を出してJISマークの付いた定規を買った方が良いと述べています。


この投稿を見たTwitterユーザーからは、こんな声があがっています。


・初めて知りました。手持ちのを比べたらわりと値段の張った定規でも
 30cmで0.8mm程ズレてました

・JISマークがないのは、cmなどの記載がなく、あくまでも単なる目盛であって、
 長さを表しているとは「言ってない。」です

・定規に限らず、計る(量る)ための道具は、規格を確認した方が良いです。
 規格の表記がないものは、「雑貨」扱いであり、計る道具としての条件を
 満たしていません

・温度計にもそんな奴ありました。パッケージに既に「正確な記録はできません」
 みたいな表示があっていいのか、ダイソーと突っ込んでしまいました

・定規も100均で購入したんですが、きっちり図った筈なのに完成した棚がガタ
 ガタに歪んでいました

・娘の通っていた小学校では、定規、コンパスは百均で買わないでください。
 と指示がありました

・わかります!分度器もです?!

・100均等のは線引く用みたいなものだから

・大手のホームセンターで買った「差し金」で4寸柱に1周の線引いたら1分ずれ
 た経験があります


100均で売られているアイテムってたしかにお買い得ですが、貧弱なものが多い
というのは否定できません。

とくに、正確な長さを測るための道具である定規の場合、ズレがあっては使い物
になりませんし、あとで困ることになる可能性も考えられます。

コメントにもありましたが、規格の表記がないものは「雑貨」扱いであり、
計る道具としての条件を満たしていないようですね。

やはりこういったアイテムは、多少高くても安心できる「JISマーク付き」の
製品を買うべきなのかもしれません。

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質素な食卓から感じるもの [生活]


かっての日本の伝統的な食卓、そこには日本の知恵が籠められている。

日本の伝統的な食卓を囲んだ世代も高齢化している社会であるが
自然に感謝し自然に優しい暮らし方こそが、本当の贅沢な暮らし方ではないか。

日本の伝統的な食生活が見直されている今日、やはり日本人のDNAに刻まれた
食生活に戻っている感も否めない。本当に贅沢な食生活に・・


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2016.07.17
暑ければきゅうりで涼をとる
『質素な食卓から感じるやさしい暮らし方』
ケノコト

質素な食事、質素な食卓、そして質素な暮らし。

みなさんはそう聞いてどんな風景を思い浮かべますか?質素な食事というのは、
穀物や野菜、海藻などを中心とした、日本の伝統食ではないでしょうか。

自然と調和をとりながら育む健康的な暮らし方。
いろんなものが溢れている世の中だからこそ、あえて質素に暮らしてみる
のもいいかもしれません。


身土不二と一物全体

健康的で質素な食生活を実践するひとつとして、マクロビオティックという考え
方があります。

暮らしているその土地の旬のものを食べること(身土不二)には、四季のある
日本で、季節ごとの旬の食材をとることで、本来のカラダのバランスがとれる
という意味があります。

例えば、暑い地域でとれる果物には体内の熱を下げる働きがあります。一方で、
寒い地域でとれる野菜には体内を温める働きがあるのです。

自然の恵を残さず丸ごといただくこと(一物全体)とは、食材そのものを全てを
摂ることでカラダのバランスがとれるということです。

食材そのものは、皮などもすべて丸ごと食べることで栄養のバランスを余すとこ
ろなく摂取できます。穀物なら精白していない玄米、野菜なら皮や葉に栄養が詰
まっているのです。


目印は茶色い食べもの

わたしたちが一番食べる量が多いものといえば、お米です。毎日食べ、そして食
べる量も多いからこそ優しい食生活を送る上で意識したい食材でもあります。

当たり前のように食べている白いお米は、もともとは茶色いもの。籾(もみ)から
取り出した状態の玄米は糠(ぬか)がついたままなのでで茶色い色をしています。
そこへ玄米を白米にする作業、いわゆる精米をして白くなります。

この精米によって、玄米の7~10パーセントが削り落とされ、白米は元の玄米の90
~93%の大きさになります。同時にビタミンやミネラルなどの多くの栄養素がそ
ぎ落とされているのです。

白米が悪いわけではありませんが、ほんのすこし、玄米に置き換えてみるのもい
いかもしれません。

お米に限らず、小麦粉もそう、白砂糖も本来は茶色いもの。自然の恵みを丸ごと
いただくで、わたしたちが必要としている栄養を得られるのです。


暑ければきゅうり、寒ければごぼう

食材は「陰」と「陽」にわけられる、ということを聞いたことはあるでしょうか。
実は理にかなった効果があるのです。

陰性の食材とは上に向かってのび、からだを冷やす作用があります。キュウリを
例に挙げると、キュウリは夏場のほてったカラダから熱をとってくれる作用があり
ます。

「暑かったらきゅうりでもかじってなさい!」と言われてきたのには訳があるんで
すね。一方で、陽性の食材とは地中に向かってのび、からだを温める作用があると
考えられています。

土の中で大きく伸びる冬のゴボウは、冷えたからだを温め、カラダのバランスを
とる手助けをしてくれるとされています。

暑いな!と感じたら、太陽の恵みをさんさんと受けて育った夏野菜をかぶりつい
てみるのも、自然な「涼」のとり方なのかもしれません。


わたしたちが住んでいる土地でとれた野菜を食べることで、その野菜が新鮮でお
いしいだけでなく、物流時に排出されるCO2の削減、地域の活性化、生産者とのつ
ながりなど、暮らしを良くする要素がたくさんあります。

日本の伝統的な食卓から感じられるのは、自然に感謝した自然に優しい暮らし方。
質素な暮らしこそが、本当の贅沢な暮らし方なのかもしれませんね。

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「うっかり」が招く悲劇 [生活]


毎年必ずあるといって言いほど、「うっかり」によるこの悲劇がある。
これから暑さも厳しくなる折、注意を怠らないようにしたいものだ。

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アメリカでは毎年、平均で38人が死亡しているという。
しかも、2017年は43人、18年は52人と、近年は増加傾向。

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2019/7/04
「うっかり」が招く悲劇
vpoint

米国では、たとえ短時間でも子供を車内に放置することを多くの州が禁止するな
ど、子供の安全対策は徹底されている。

それにもかかわらず、暑い季節に子供が車内に取り残され、熱中症で亡くなるニ
ュースは意外なほど多い。

最近では、南部テキサス州で1歳の男の子が父親の働くレストランの駐車場で車
内に約5時間、放置されたことで死亡した。

その日の気温はセ氏32度に達し、車内では57度を超えていたと考えられている。
こうした事故で亡くなった子供は、今年すでに16人に上るという。

非営利団体「安全性評議会」によると、1998年に記録を始めて以来、800
人以上の子供たちがオーブンのような高温の車内に取り残され亡くなった。

毎年、平均で38人が死亡しているという。しかも、2017年は43人、18年は52
人と、近年は増加傾向だ。

このうち、保護者が車内にいる子供を忘れていたケースは54%だという。わが子
の存在を「うっかり」忘れて死なせてしまうことが、意外なほど多いことに驚か
される。

その原因として、ストレスや睡眠不足、同時に複数の仕事を抱えた状態にあった
ことなどが指摘されている。

日本では夏に親がパチンコなどに熱中している間に子供が亡くなるケースが問題
となるが、いずれにしても、取り返しのつかない悲劇であることには変わりない。

2人の幼い子を育てる筆者も他人事(ひとごと)ではないと自戒しつつ、安全に
注意を怠らないようにしたい。

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幕末から明治の買い物事情 [生活]


幕末から明治は竹細工が、各家庭の中で主役であったが
新しい素材であるプラスチックの実用化によって、竹細工は主役の座を
奪われていった。第2次大戦後、それも昭和30年代以降のことだ。

今でこそネットで買い物が出来る時代になっているが
幕末から明治の買い物事情を読むと、売価は交渉次第という行商人と
客との交渉の中で売値が決まっていくシステムさえ採用されていた。

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商品の素材が変わってきて、商品の価格は基本的に掛値であった
買い物事情も変わってきている今日、それを懐かしむ年代の人も
また減ってきている。

日本文化に寄り添った素材による竹細工、主役の座を奪われているが、
昨今のプラスチックによる環境汚染を考えた場合、ストローなども有機素材
に置き換える動きを見せているのを考えると、プラスチックって一体何だったのか
という疑問さえ出てくる。

便利さ、豊かさとは裏腹に出てきている環境問題、
いまこの本質を見せ付けられているように感じられる。

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2017/05/01
街にあふれる行商は、ネット通販より便利? 
幕末から明治の買い物事情
headlines.yahoo
竹細工行商.JPG


カタログやネット通販の普及も活況ですが、なくなりそうでなくならないのが
移動販売です。個人店が営んでいたり、フランチャイズ展開がなされていたり、
取扱い商品や形態はさまざまです。そんな移動販売の元祖といえば行商です。

時代劇でよくみる棒の先についた桶に商品を入れて売り歩く江戸の行商から、
明治中期頃は写真のようなより多くの商品を荷車に載せる行商スタイルへは、
どのように発展していったのでしょうか? 

当時の貴重な資料である彩色古写真から見える、行商人の商売の様子や庶民の暮ら
しについて、大阪学院大学経済学部教授 森田健司さんが解説します。


町に溢れていた行商人

今の日本は、とにかく便利である。買い物をするにしても、そのほとんどをネット
ショッピングで済ませることさえできる。

スマホやパソコンで画像を見て、欲しいものをクリックすれば、宅配業者が自宅の
玄関まで商品を運んでくれるわけである。ものぐさにとって、極上のサービスだ。

それに対して、江戸時代はどうだったのだろう。きっと、買い物は大変だったに
違いない。このように考えてしまいがちだが、実はそうでもないのである。

それどころか、もしかしたら今よりもっと「便利」と言ってもよいかも知れない。


その秘密は、江戸時代に町に溢れていた行商人にある。彼らは魚や野菜などの生
鮮食品から、重量のある什器に至るまで、様々な商品を取り扱う専門業者たちだ
った。

だから、毎食の買い物はもちろん、日用品でも家財道具でも、自宅の目の前で購
入することができたのである。商品を天秤棒で担ぎ、声を出して売り歩く彼らは、
「棒手振り(ぼてふり)」と呼ばれた。棒手振りは許可制で、幕府公認の仕事で
もあった。

この棒手振りたちは、明治に入っても元気に活動していた。ただし、少しずつ見
た目が変わっていく。肩に天秤棒を担ぐものから、大きな二輪の荷車「大八車
(だいはちぐるま)」に商品を載せるスタイルに移行したのである。

大八車自体は江戸時代前期から存在したが、個人の行商人が普通に利用し始めた
のは、明治の中期頃からと言われる。この背景には、人力車の普及によって道幅
が広げられ、整備されたことがある。

はじめに掲載した写真は、大八車を利用する行商人の姿を撮影したものである。
驚くべきは、その商品の数である。まさに、店ごと移動している感がある。


日本文化に寄り添った素材=竹

ところで、大八車を引っ張る行商人が扱っている商品は何だろうか。よくよく眺
めてみると、笊(ざる)に籠、箒など、木で作られた大小様々な品が確認できる。

彼が運んでいる商品が木製であることは間違いないが、それらには、もう一つ指摘
できそうな共通点がある。

それは、木の中でも、「竹」を主たる材料としたものがほとんどであることだ。
笊や籠をはじめ、これら商品のほとんどは、竹細工である。

現代の日本では、竹細工の需要はそれほど多くない。しかし江戸から明治時代にか
けて、家財道具の相当な割合は、竹で作られたものだった。

これほど竹が多用されていた理由の一つは、大変軽量なことである。写真の行商
人が、これほど多くの商品を持ち運びできているのも、竹製で軽いためだった。

また、竹はただ軽いだけではなく、加工しやすい上に、強度が高い素材でもある。

おそらく、外国人旅行客の目には珍しく映ったのだろう。行商人だけではなく、
竹細工を作る職人の手彩色写真も、数多く残されている。それも載せておこう。

背中を向けている竹細工職人は、地面に座り込んで作業を行っている。彼の手に
は、驚くことに何も道具が持たれていない。

そう、竹細工は基本的に、文字通りの「手作り」だった。この工房の外に置かれ
ているのは、職人が手で編み上げた竹細工の籠だが、どれも溜息が出るほどに美
麗な仕上がりである。

湿気の多い日本という地に適応した竹細工が、各家庭の中で主役の座を追われ始
めたのは、それほど昔の話ではない。

第2次大戦後、それも昭和30年代以降のことだった。新しい素材であるプラスチッ
クの実用化によって、竹細工は少しずつ姿を消していったのである。


売価は交渉次第

話を行商人に戻そう。家のすぐ前まで商品を運んでくれる行商人たちは、確かに
便利ではあった。しかし、今の売り買いと大きく違うこともある。

それは、商品の「定価」が存在しなかったことである。実際の売価は、売り手と
買い手の交渉にかかっていた。

イギリスの旅行作家であるイザベラ・バードは、1878(明治11)年に初めて日本
の地を踏んだ。彼女は、当時の鉢石宿(現在の栃木県日光市鉢石)における買い
物の経験を、次のように記録している。


「50銭という言い値があまりに法外だと思って店を出ると、後から女将がちょこ
ちょこと追いかけてきて、20銭でいいですと言ったことがいくつかの店であった」
― 金坂清則訳、イザベラ・バード著『日本奥地紀行(1)』(平凡社)、187頁

江戸時代以来、日本の小売店では、商品の価格は基本的に掛値(かけね)で提示
され、その後、客との交渉の中で売値が決まっていくシステムが採用されていた。

つまり、同じ商品であっても、買う人間によって値段が違ったのである。
これは、普通の店舗であっても、行商であっても同じである。

今の日本では(一部地方の小売店を除いて)考えられない話だが、こういった商
法は、海外ではまだまだ残っているところがある。

特に、観光客が多い地域においては、少しでも多くの利益を得るため、値段を吹
っかけてくることは少なくないようだ。

いくら家の前まで運んでくれるとはいえ、売値が交渉によって決まるのが普通で
あった時代は、あまり羨ましいと思われないかもしれない。

何事においても、今よりずっとコミュニケーション能力が必要とされたのが、江戸
、および明治という時代だった。

それを「人間らしい」と取るか、「煩わしい」と取るかは、その人の感性次第で
ある。

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自分は葉であり木でもある [生活]


木は葉っぱを生かし、葉っぱは木を生かしている

「葉は木そのものではない。が、木がなければ葉もあり得ない。葉が常に木とと
もにあるのと同じように、人もまた〝全体から切り離されない個体〟だ」

---
ちからのある言葉【格言集・名言集】
compass-point

自分が葉であるとともに木でもあると知ること

岡潔

ふたたび岡潔の言葉を紹介しよう。彼の本を開くと、宇宙に引き込まれるような
感覚になる。数学者だからか、この世の真理をつかんだ言葉が多い。

夜空にきらめく星々が言の葉になって散りばめられているようだ。
むずかしいことは書いていない。情緒をもってさえいれば、すとんと胃の腑に
落ちるはず。


孤独感、孤立感を感じる人が年々増えているという。
趣味趣向が似た仲間が集まるコミュニティも少しずつ増えているようだが、
それでも孤独感は埋まらない人もいるようだ。
 
誰かと一緒にいるかいないかは関係ない。
心に安寧があれば、一人でいても、誰といても、楽しめる。

孤独に思うのは、自分のことしか考えられないからではないか。
わかってほしい、認めてほしいと思うなら、まずは周りを認めよう。
相手のことをわかろうとする努力をしよう。
 
なぜなら、相手は自分の写し鏡だから。
身近であればあるほど、相手は自分の心を映し出す。

「葉は木そのものではない。が、木がなければ葉もあり得ない。
葉が常に木とともにあるのと同じように、人もまた〝全体から切り離されない
個体〟だ」

岡潔はそう語る。

自然から離れてしまうと、人も自然の一部だということを忘れてしまう。
自分が、自分が、と我を張るのは、自然の理に反することだ。

葉っぱは木があるから生まれるのであり、木は葉っぱに守られている。
木から離れた葉っぱは枯れるし、枝葉を切り落とした木は、蝕まれていく。
木は葉っぱを生かし、葉っぱは木を生かしている。

太陽の光や、風や雨の中でいきいきと生きる植物たちは、葉も幹も互いに生かし
生かされていることを知っている。

一枚は全体のために、全体は一枚のために。
自分は個であるとともに、全体なのだ。

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