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アマゾン、3000基超の衛星打ち上げ計画 [IT]


米アマゾン・ドット・コム、人工衛星を使って高速通信参入へ。

地球上のどこにいても高速で遅延の少ないインターネット接続サービスを受けられる
アマゾンの計画、「プロジェクト・カイパー」。

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米国では民間企業によるロケット開発によって衛星の打ち上げ価格が低下し
普及が難しかった人工衛星を使った通信サービスへの期待が高まっている。

宇宙開発競争と相まって人工衛星を使った通信サービスが地球上の何処にいても
受けられる競争に突入しようとしている。

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2019/4/5
アマゾン、3000基超の衛星打ち上げを計画 高速通信参入へ
nikkei

米アマゾン・ドット・コムが人工衛星を使ったブロードバンド通信サービスへの参入を
目指していることが明らかになった。

3000を超える通信衛星を打ち上げて地球のほぼ全域をカバーする計画だ。イーロン・マス
ク氏が率いる宇宙開発ベンチャーの米スペースXなども同様の構想を表明しており、米有
力企業による宇宙開発競争が熱を帯びてきた。


米連邦通信委員会(FCC)が通信衛星の運用を監督する国際電気通信連合(ITU)に提出
した資料を基に、米ネットメディアなどが報じた。

「プロジェクト・カイパー」と呼ばれるアマゾンの計画では、上空600キロメートル前後
の低軌道に計3236基の周回衛星を配備し、地球上のどこにいても高速で遅延の少ないイ
ンターネット接続サービスを受けられるようにするという。

事業化にはFCCなどの承認が必要で、資料では具体的な投資額やサービス開始時期などに
ついては触れていない。

アマゾンのジェフ・ベゾス最高経営責任者(CEO)は自ら設立した宇宙開発ベンチャーの
米ブルーオリジンを通じてロケット開発も進めているが、アマゾンがどの会社のロケット
を使って衛星を打ち上げる計画であるかは明らかにしていない。

米国では、同様の衛星を使ったブロードバンド通信の計画が相次ぐ。ブルーオリジンと
同じく民間のロケット開発を主導するスペースXも約1万2000基の衛星を使ったブロード
バンド通信サービスの構想についてFCCの認可を受けた。すでに試験打ち上げに着手して
いる。

ソフトバンクグループなどが出資する米衛星通信ベンチャーのワンウェブも650基の衛星
を打ち上げる計画を示しているほか、米フェイスブックも独自の通信衛星の開発を進めて
いると報じられている。

英調査会社ウィー・アー・ソーシャルなどによると、19年1月時点の世界のインターネッ
ト人口は43億8800万人で普及率は57%だった。先進国でも固定通信回線の敷設が難しい
山間部などではブロードバンド通信が普及していない地域もある。

米国では民間企業によるロケット開発によって衛星の打ち上げ価格が低下しつつあり、
これまでコスト面で普及が難しかった人工衛星を使った通信サービスへの期待が高まって
いる。

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大都市東京は多様性の欠如? [社会]


多様性はどのような面にしろ、日本ではデリケートな話題だとニューヨークの
ブルックリンからやって来た筆者に映る。

同質性を神聖で傷つきやすいものと見なし、外国人の流入で薄まったり、損なわれたり
することを危惧していると。

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戦後の日本の急速な復興を可能にしたのは、調和を何よりも重んじ、従順と忠誠と自己
犠牲を強く求める「国民の同質性」だと、国内外からよく指摘される。

遅かれ早かれ東京の人口構成は変わっていく。現状にとどまることは高齢化が許さ
ない。「高齢化への対応は最大の課題ですが、それを乗り越えるうえで中心となるのが
東京です。困難を跳ね返すのは東京だけでなく、日本人の特徴です。みんな真面目です
から、問題に真剣に取り組むのです」とは東京都知事。

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2019.03.29
東京大都市圏、外国人が見た「欠如」とは
ナショジオ

米ハーバード大学の経済学者エドワード・グレイザーによると、都市は人類最高の発明
だという。だとすればその最高の実例が東京だろう。人口3700万人を超す世界最大の大
都市圏を形成し、世界屈指の豊かさと治安の良さ、創造性を誇る都市だ。

巨大都市が人間に与える影響にさほど興味がなくても、東京は避けて通れない。なぜな
ら東京はあなたの生活をすでに変えているから。この都市は絶大な影響力をもつし、
世界が日本文化とつながる中継点でもある。

東京の旺盛な創造力は、過去100年に2度も壊滅的な被害を受けた歴史と切り離せない。
最初は1923年の関東大震災、2度目は第2次世界大戦末期の大空襲だ。東京が焼け野原に
なるたびに、人々は過去を捨てて街の再建を余儀なくされ、新しい街づくりを構想して、
交通網、インフラ、さらには社会の在り方まで変えてきた。

都市計画の重要な論客だった米国の作家ジェイン・ジェイコブズはこう書いている。
都市のことを知り、その混沌とした勢いを感じるには、とにかく歩いてみることだと。
写真家のデビッド・グッテンフェルダーと私はそれに従うことにした。

一つの街からまっすぐ隣の街へ移動したり、電車や車で遠くへ行ったり。工業地帯から
大学のキャンパス、鉄道駅、市場、霊園、寺院、神社まで、丁寧に訪ね歩いた。「世界最
大の」といった最上級の形容詞でよく語られる東京だが、それに気をとられていると見落
とすものがある。2人とも日本に住んだことがあるから、そこは承知していた。


多様性の欠如

ニューヨークのブルックリンからやって来た私にとって、東京を旅するなかでたびたび
印象に残ったことの一つが、多様性の欠如だった。東京では外国人住民の数が年々増え
ており、2018年には20代の東京在住者の10人に1人が外国人だった。

韓国・朝鮮系や中国系の住民もかなりいて、そのなかには何世代も前から暮らす人たち
も多い。だが、この大都市では、そうした人々もすぐに存在が紛れてしまう。多様性は
どのような面にしろ、日本ではデリケートな話題なのだ。

戦後の日本の急速な復興を可能にしたのは、調和を何よりも重んじ、従順と忠誠と自己
犠牲を強く求める「国民の同質性」だと、国内外からよく指摘される。

漫画に描かれたサムライのようなもので、日本人はこういうものだと決まりきった考え
をもつのは危険だ。それでも一部の日本人は、同質性を神聖で傷つきやすいものと見な
し、外国人の流入で薄まったり、損なわれたりすると危惧している。

2020年のオリンピックは、多様性に向けて加速する格好の理由になっていると東京都知
事の小池百合子は話す。期間中は大勢の外国人が来日して、多様性を実感できるだろう。
それに遅かれ早かれ東京の人口構成は変わっていく。現状にとどまることは高齢化が許さ
ない。

小池は言う。「高齢化への対応は最大の課題ですが、それを乗り越えるうえで中心とな
るのが東京です。困難を跳ね返すのは東京だけでなく、日本人の特徴です。みんな真面目
ですから、問題に真剣に取り組むのです」

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意識変えたジャカルタ地下鉄 [社会]

今まで公共交通機関はあるものの、不便で使い勝手が悪いく、
渋滞に巻き込まれる自動車やバイクしか移動手段がなかった市民にとって、

ジャカルタの中心部と南部を30分で結ぶジャカルタ地下鉄が「新しい文化」の一部
になり、公共交通機関への意識が変わっていく起爆剤になろうとしている。

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インフラが、ジャカルタ市民の生活を変え、しいては国の発展に繋がっていくことは
間違いないようだ。

新しい公共交通機関の基本的なマナーに慣れ、独自の「新しい文化」の一つに
なろうとしている。

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Apr 6 2019
「意識変えてくれた」日本支援のジャカルタ地下鉄
市民の新たな文化に
newsphere

深刻な渋滞緩和の切り札として期待される、ジャカルタ都市高速鉄道(MRT)が開業した。
地下と高架部分を走り、ジャカルタの中心部と南部を30分で結ぶ。

乗客のマナーの悪さなども報じられているが、数十年間待ちに待った市民にはおおむね
好評だ。ジョコ大統領も、MRTが「新しい文化」の一部となったと胸を張る。

日本の技術と資金援助で作られたインフラが、ジャカルタ市民の生活を変えようとして
いる。

正確できれい 公共交通機関への意識が変わった


ジャカルタ市民にとって、不便で使い勝手の悪い公共交通機関と、渋滞に巻き込まれる
自動車やバイクしか選択肢はない状況だった。


通勤経験のあるライターのイカ・クリスマンタリ氏は、これまでまったく公共交通機関
を信頼してこなかったという。しかしMRTに試乗し、これこそが悪夢のような通勤から
解放してくれるものだと気づいたそうだ。

まず、手軽に乗れて渋滞もない。インドネシアではまれな定時発車で、車両内部は清潔
で整然としている。同氏は渋滞を見下ろして走る車両の窓から見える青空と、交通渋滞に
打ち勝ったという特権的な気分に恐れ入ったとしている。

初めて公共交通機関にプライドを持てたとし、この気持ちはほかの市民も同じではない
かとしている

マナーは追い付かず 時間と忍耐で改善を

地元の報道からMRTが利用者に好評なことはよくわかるが、課題はマナーのようだ。
ジャカルタ・ポスト紙は、最新の交通機関への市民の熱狂ぶりに加え、乗客のマナーの
悪さを日本の朝日新聞などが大きく報じていると伝えている。

MRTジャカルタもこの点を心配したのか、乗車時のルールやマナーを紹介するビデオを
ソーシャルメディア上で紹介した。大声で話さない、食べ物を食べない、他人の携帯を
のぞき込まない、いびきをかかない、化粧をしないなどの注意がされているという。

しかし、ビデオでのいびきや化粧の例があまりにも現実離れしており、こんなアドバイス
より、降りる人が出てから乗車する、お年寄りや妊婦、小さな子供を連れた女性に席を
譲る、ごみを捨てないなどの基本的なマナーを教えるべきだという、視聴者からのお叱
りが多くあったとのことだ(ジャカルタ・ポスト紙)。

クリスマンタリ氏は、マナー改善には忍耐が必要だと主張する。2005年に自身が初めて
乗った通勤電車は騒々しくて暗く、臭くて汚かったし、乗客は車内で飲食をし、ごみを
散らかしていたという。しかしこれもだんだんと改善されているとする。

さらにMRT駅でピクニック弁当を食べる乗客を揶揄する人々に対しても、彼らの楽しみ方
の一つであると捉え、大目に見てあげてほしいと訴える。すべての人々に海外旅行やMRT
に乗った経験があるわけではなく、皆が慣れるのには時間がかかるという意見だ

控えめ日本の成果実る インフラ輸出の起爆剤となるか?

ジャカルタ・ポスト紙のコーネリアス・プルバ氏は、市民はMRT開業に沸き、政治家も
建設の手柄の取り合いに忙しいが、だれも日本が果たした役割に注目せず、自らの技術
と経営のやり方を日本が移転してくれたことをほとんど気にしていないと述べる。

金を返すからいいだろうという単なるビジネス案件と捉えているのだろうが、開業式典
でジョコ大統領から日本の果たした役割への感謝のしるしが示されてもよかったはずだ
としている。

式典には日本の関係者も参加していたが、注目を避け裏方に徹しようとしていたようで、
少しばかり自慢することもできたはずだと残念そうだ。

同氏は、4年前にジャカルタとバンドンを結ぶ高速鉄道の建設計画をライバル中国に渡し
たインドネシアに対して日本は怒り失望したが、今回のMRTの成功で日本はプライドを取
り戻したと述べる。

今後の日本の途上国へのハイテク交通機関輸出に弾みをつけることにもなるとしている。
そしていつも控えめなのにもかかわらず、日本のMRTは大衆のハートを掴んだとし、
MRT外交の効果がもたらされているとしている。

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必要は発明の母 [発明]

必要は発明の母と言うが、まさに乾電池を発明したのは、ある経験が引き金となり
必要性を痛感したのが始まりだという。

ゼンマイ仕掛けの時計が主流だったころ、こうして「乾電池」が生まれた。

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こう言った発明にまつわるエピソード、乾電池を見る度に思い出す
のも発明者への恩返しになるかも知れない。

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2019/03/17
乾電池の発明は遅刻がきっかけ!?
世界で初めて乾電池を発明した日本人・屋井先蔵
gunosy

世界で初めて乾電池を発明し、「乾電池王」と呼ばれた人物がいます。
彼の名前は、屋井先蔵(やいさきぞう)。

1863年、現在の新潟県長岡市に生まれた先蔵は、幼いころから天体や水車、コマなど
回り続けるものに興味を寄せていました。13歳になると奉公に出て、時計店で働くよう
になりました。

時計店で身を粉にして働くうちに、精密に回り続ける歯車たちのとりこになっていきま
す。屋井は機械についてさらに学ぶために上京し、東京職工学校(現在の東京工業大学)
への入学を目指します。

ところが、2度目の受験の際、正確な時計が周囲にひとつもなかったために、試験会場に
5分遅刻してしまい、受験できないという苦い経験をしてしまいました。当時の時計は手
動のゼンマイ式が主流で、街中で目にできる時計が示す時刻もバラバラでした。

屋井はこのときの経験が引き金となって、電気で常に正確に時を刻む「連続電気時計」
の開発に、情熱を注ぐようになりました。屋井の努力によって「連続電気時計」は完成
しましたが、売れ行きはあまりよくありませんでした。

その理由は、電源に使っていた液体電池(湿電池)にありました。液体電池には、「冬
になると内容物が凍り使えなくなる」、「ひんぱんに液漏れが起きるのでメンテナンス
が面倒」といった欠点がありました。

そこで屋井は課題を解決すべく新たな電池の開発に着手。日中は親戚が営む工場で働き
ながら、それ以外のほぼすべての時間を研究と開発に費やし、試行錯誤の末に薬液が浸
み込んだパラフィンで炭素棒を固めて、液漏れしづらく改良した電池をつくりあげまし
た。

こうして、冬にも凍らず、液漏れしない電池が造られました。この電池は、従来の
「湿電池」に対して「乾電池」と名づけられました。

ところが、そのころの日本では電気製品が普及していなかったため、屋井の乾電池は発
売当初、思うように売れません。

そんな屋井の乾電池に転機が訪れたのは、1892年に開催されたシカゴ万博でのこと。
このとき、東京帝大理学部が、屋井の発明した乾電池を使用した地震計を出品。この乾
電池が国際的に関心を集め、その性能の良さが認められるようになりました。

その後、日清・日露戦争が発生すると、厳冬の満州で照明や通信機器を使用するための
電源として屋井の乾電池が採用されることになり、屋井の乾電池はようやく世間の人々
の注目を集めるようになったのです。

1910年 、屋井は、「屋井乾電池」を設立。乾電池の本格量産にとりかかりました。
その際、筒型の金属ケースを用い、現在の乾電池のスタイルを確立しました。

屋井は、乾電池というものを世界で最初に発明にしたにもかかわらず、貧乏のため特許
を取得することがなかなかできず、長い間、乾電池の発明者として名前を知られること
はありませんでした。

2014年、IEEE関西支部の推薦による「日本の一次・二次電池産業の誕生と成長1893」が
IEEEマイルストーンとして正式に認定され、屋井の出身地の長岡市、出身校の東京理科
大学近代科学資料館(以上は屋井乾電池が現存しないため)、ジーエス・ユアサコーポ
レーション、パナソニックの4者に銘板が贈呈されました。

これによって地元長岡市の人々にも、屋井先蔵の名前が広く知られるようになりました。

日本が、世界に誇るものづくりの技術。その一つの成果である「乾電池」発明のきっか
けが、「遅刻」とは、なんとも人間臭いエピソードではないでしょうか。

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